NLPを学ぶと、よいあきらめの悪さが身につきます

「あきらめが悪い」をポジティブに言いかえるとどんな言い回しになりますか?

言葉の持つ力はすごいものだと知っているのについついネガティブな言い回しで語ってしまう。
そんな特徴が人間にはあります。
だけど、そのことを理解すると言い回しを変えようと思うものです。

NLPのテクニックの一つに『リフレーミング』というものがあります。
『リフレーミング』とは物事の見方や捉え方(フレーム)を変える(リフレーム)テクニックです。
リフレーミングすることで言葉の言い回しも変わり、ネガティブにとらえていたものがポジティブなものととらえることができたりします。

例えば短所としてとらえられがちな「神経質」は「細かいところまで目が行き届く」などとなり、その時に短所ではなくなります。
このテクニックはカウンセリングやコーチングの時に多く用いられています。

そこで「あきらめが悪い」。あなたならどうリフレーミングするでしょうか。

『あきらめ』のいい悪いってどっちがいいとも僕には言い切れません。というか、そもそも優劣なんてないんだろうと思います。

「あきらめがいい」ことが美しいと言われることもあるだろうけど、そうとも言えない。
できないと分かればあっさりあきらめるのもいいことでしょう。だけどあっさりとできないと判断してあきらめてしまうのはいいことではありません。

それに対して「あきらめが悪い」ことはネガティブワードのようにとられることが多いです。
あきらめが悪くただ執着するだけなのはもちろんよくないし、すぐ「ストーカー」というキーワードと結びつけちゃったりもする人も多いと思います。
だけどあきらめの悪さをうまく使うことができれば、いい結果を生み出す原動力になるように思うのです。

ウチの息子はマンガが好きです。
同級生の多くは男子小学生よろしくコロコロコミックを購読していているらしいが、ウチの息子は購読していません。
いや、正確に言うと購読させてもらってないのです。

というのも、これは息子の日常の生活態度に対してウチの奥さんが激怒していることに起因しています。
そこで息子の日常を振り返ってみましょう。

学校から帰る。
早速宿題…とはいかずに、なにもせずにダラダラ。僕が昔読んでいたおとぼけ課長とかりあげクンに目を通す(小学生が読むマンガかよ…)。
ほどなくして宿題も終わっていないのにおやつを要求。おやつを食べてそのまま寝てしまうこともしばしば。

そしてようやく宿題。最近覚えた「ノートのページすべてを埋め尽くさない!」漢字練習を駆使して短時間で終わらせる。
ノートには先生からの「ちゃんと下まで書きましょう」というメッセージが残る。それを見て奥さんが激怒。

息子はこのほかにも通信教育もしているのだが、自分でやりたいと言い出したくせにあまりはかどらない。テストが返却された際にもらえるシールを集めてもらえるオマケ目当てなのはわかっていたけど、本当にはかどっていない。
そのくせゲームの時間だけは確保しているようで、1日30分と決められているゲームの時間をオーバーすることも多いのです。

これらのことが積み重なってコロコロコミック禁止令が我が家では発令されております。
強行採決ではあるが仕方のないことでしょう。

だけど同級生がみな読んでいる(らしい)コロコロコミックが息子はどうしても欲しいらしい。そこで「欲しい」「ほしい」「買って」などと連呼して奥さんにねだるのだが、連呼すれば連呼するほど「しつこい!」と一喝されています。It’s逆効果。

僕は別に買ってもいいと思うんだけど、奥さんから釘を刺されているので買ってあげることができません。せっかくのホーム(自宅)をアウェーにしたくはありません。
なので、息子にアドバイスをすることにしました。

「お母さんはなんで買ってくれへんと思う?」
そう聞くと「宿題」とか「ゲーム」とかいうキーワードは出てくる。一応。
「なら宿題とかちゃんとやったらええやん。」
「でも絶対買ってくれへんし!」

そのくせ「欲しい」とぬかしやがる。悪い方のあきらめの悪さです。

「なら普通じゃないことをやったら?」
「どういうこと?」
「普通に宿題を終わらせるだけでなく短時間で終わらせる。とか。」
「宿題終わらせるだけじゃあかんの?」
「それは普通のこと、当たり前のことやろ。当たり前のことをやったって評価は上がらんよ。」
「わかった。他には?」
「普段やってないお手伝いをするってのも効果的かもな。」

こんな感じで話をしているうちに息子の表情も少し変わってきました。
「絶対買ってもらえない!」から「ひょっとしたら…。」という感覚が芽生えてきたのでしょうか。
こちらから質問をすると、いろんなアイディアが息子から生まれてきました。あとは実際に日常の生活態度が少しでも変わってくれればいいのだけれど。

このことは息子が「あきらめが悪い」から導き出されたものです。
ただ単に「あきらめが悪い」のはよくないことだと思いますが、「あきらめの悪さ」を活かして得たい成果に執着しその成果を得るために対策を考えることはいいことだと思います。
邪道や非道じゃなければ(プロレスかよ。)どんな道を通ってもいいし、どんな手でも使えるんですから。

僕が「あきらめが悪い」をリフレーミングすると、「絶対達成しようという強い意志を持っている」となります。
みなさんはどうリフレーミングしましたか?

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