NLPを学ぶと、器がでかくなります

人のことを評価するときに「人間の器」という目に見えない尺度が出てきます。
「◯◯さんは器がでかいなあ。」とか「△△さんは器がちいせえなあ。」とか。
このように人のことを評して言うことがあります。

ではその器の大きさというのはどのようにして決まるのでしょうか?
まず僕が思うのは「許容範囲」の広さ。そしてそれを表に出すかどうかだと思うのです。

例が出しやすいので僕が思う「器の小さい人」を挙げてみたいと思います。
僕が思う器の小さい人っていうのは「自分の尺度に当てはまらない人」を極端に拒絶する人なのかなあと思います。

「常識だろ!」
「当たり前のことだろ!」
「男としてどうだ!」
「女はそんなことはしませんから!」

些細なことに対してこのようなことをしょっちゅう口に出す人は、器が小さいなあと思うことが多いです。思っているだけならそうは思わないけれど、口に出されるとそう思います。
そこから発展して、大きな声をあげてシュプレヒコールのようになったりするとさらにそう。
もう目も当てられません。

結局のところ自分自身が持っている価値観や常識などから外れている人が許せないんだろうなあ。

そんな人に対してはNLPの前提の一つである『地図は領土(現地)ではない』という言葉をおくりたいと思います。
この言葉だけを聞くとよくわからないかもしれません。僕も最初はそうでした(笑)。
それでは説明していきたいと思います。

道案内の地図って個性が出ると思います。おおよそ似てくるとは思うのですが違いは出ます。
少しのカーブなら直線で書く。直線が続くようであれば途中を省略する。そんな人もいるでしょう。
目印となる建物が人によって異なったりもするでしょう。
ひどいものになると間違った地図を書いてしまったりもするでしょう(笑)。

このように人は省略・歪曲・一般化を無意識にしているわけです。逆にそうしないと覚えることが多くて脳みそがパンクしてしまいますから。

これをもとにさっきの「人間の器」を考えてみると、やや一般化の傾向が強すぎて許容範囲を狭くしてしまっている人のことを「器が小さい」と言えるのではないかと思います。
例えばアナタがその道案内の地図をもとに目的地に向かい、かかるであろう想定時間通りに到着した後で…、

「ちょっとカーブしていたのに地図では直線になっているじゃないか!」
「道中の道が省略されていたじゃないか!」
「あの建物よりも目印にふさわしい建物があったじゃないか!」
「デタラメな地図書きやがって!」

などと怒るでしょうか。到着したんだったら問題なかったのでおそらく怒ることはないでしょう。
(いや、最後のは怒るかもしれません。)
もし怒ってしまうようであれば器が小さいのかもしれませんよ。
(いや、最後のは怒ってもおかしくないかもしれません。)
想定した時間通りに到着したことには変わりないのだから怒る必要もないのにね。

NLPを学んで許容範囲が広くなった人ならば、少しのカーブが直線になっていても、道中の道が省略されていても、目印の建物が自分が思う建物と違っても、間違っていても怒ることはないでしょう。結果は一緒なのですから。
思うのは「あの人はこんな感じでこの道を通ってたんだ。」くらいです。

あなたと考え方などが違ったとしても、
「へえ、そういう考え方もあるんだ。」
そう思えるだけでアナタの器が少しずつ大きくなっていきます。
イライラすることも少なくなっていきます。ストレスがどんどんなくなっていきます。
そして周りの人にも良い影響を与えることでしょう。

その生き方を実現する考え方を学ぶのがNLPなのです。

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