先日妻とテレビを見ていました。
内容は私にとって非常に耳が痛い「片付け」に関するもの。
一般のご家庭にレポーター役のタレント(確か番組ではサポーターって呼んでます)と片付けの先生が一緒に赴き、それぞれのご家庭の問題点を見つけ、お片付けをして生まれ変わらせようというものです。
リフォームの次はお片付けなんでしょうね、テレビ的には。

そんな番組を興味深げに見ている妻。
なんとなく私も一緒に見ることが多いのですが、この間登場した片付けの先生に私たち夫婦共々なんとなく違和感を感じました。

その方は『お片付けの母』というキャッチフレーズで登場されていました。
実は私たち夫婦が違和感を感じた理由というのが、このキャッチフレーズに集約されているのです。
この方のように「~の母」と呼ばれている人の特徴というものがあるのです。

いくつになっても母親はうざかったりする

だってね、いくつになっても母ってうざかったりするのですよ。
たとえマザコンであっても、母親ってうざいものです。
だからいくつになっても「うるせえよババア!」と毒づく人が多いわけです。

①いつまでも子供扱いする

親にとっては子供っていつまでも子供。
おっさんオバハンになっても、それでも子供なので、いくつになってもそういう目で見がちです。
それが行き過ぎてなんでも上から目線の物言いになってしまう人もいたりします。ああうぜえ。

②経験則の範囲が狭い

私の親世代の人って専業主婦だった母親が多くて、活動範囲が狭かったのは否めません。
今でも「専業主婦のままじゃ社会から取り残される感じがする」という人が多いことからも、そのことがわかります。
なので経験則で語ることが自分の身の回りで起こったことならまだしも、テレビや週刊誌などで見聞きしたもの(ネットならまだいい方)となってしまうことが多くなり、信憑性に不安があります。母親が言う健康系の情報なんて特にこの傾向が強い。ああうぜえ。

③本人の思いが強すぎる

母性の強さからくるものなのか。本人の「こうしてあげたい」という思いが強すぎてうざく思うことがあります。
この番組でも片付けの先生の思いが強すぎて、応募者の方の意向はないがしろになっていたような印象を受けました。
番組の企画として、無料でコンサルティングしてもらっているから仕方ないのかもしれませんが、なんか、ね。ああうぜえ。

だけどうざいぐらいでちょうどいい

これらのことから母親ってうざいなと思ってしまうことが多いわけです。
たとえ的を射ていても、私のためを思って言っているのだとしても、口うるさい人ってうざいなと感じちゃうじゃないですか。耳に痛いことばかり言われると特にそうです。

このうざさは母親に限ったことではありません。父親でもこんな感じのうざい人もいると思います。親なのにうざいと思っちゃう。
なので「~の母」と名乗る他人は余計にうざいと感じちゃうと思うのです。
(「他人のあんたが母親づらすんな!」みたいな感じで)

だけど本当の親であれば、親ってこれくらいでいいのかなとも思っています。

確かに子供がやりたいと思うことはなんでもさせてあげたいという思いはありますが、なんでもかんでも自由にできるわけではありません。
ある程度の歯止めをきかせ、制限をかける必要もあります。

そしてその制限の中で楽しむことを考えたり、制限を解除するため制限の枠を拡げるために知恵を絞る。
そうすることで、子供が制限だらけの社会で生きていく術を学んでいくんじゃないのかなと思うわけです。
なのでうざいくらいでちょうどいいいのではないかと。

もちろん過剰な制限は過干渉になってしまいますから、そこは自分でブレーキをかけなければなりません。
私もうざい母親の元で育ったので(笑)、そのブレーキのかけ具合を考えながら子供に接しています。
このようにブレーキのかけ具合を考えさせてくれるきっかけになった母には感謝の気持ちでいっぱいです(笑)。

ある程度自由に、しめるところはしめる。

そんなことを言いながら、妻には「子供に甘い!」と叱咤されている私。
まだまだ修行中だなあ。とほほ。

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