夏休みの終わりに思うこと
私が住む滋賀県大津市では、今日が小学校の夏休み最終日。
子供たちは歓迎しないだろうけど、親たちは歓迎する日でもあります。ああ、やっと家から出てってくれると(笑)。
最近は夏休みを短縮しようという動きもあるようで、同じ滋賀県でももう新学期が始まっているところもあるようですね。
そんなに勉強しないとダメか?
と思うところもありますが、滋賀県の小・中学生の学力テストは全国平均よりも下らしいし、さらに差が開いているという情報もあるので
(『滋賀県、全国と差広がる 全国学力テスト http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20170828000166(京都新聞))
夏休みの短縮は仕方のないことなのかもしれませんね。
来年は大津市でも短縮されるかもと想像します。その想像だけで少し気が楽になるような気がします(笑)。
『学校に行きたくなければ行かなくてもいい』と言うけれど
そして新学期のはじまりである9月1日に増えるのが、子供の自殺です。
滋賀県いじめ市と揶揄される大津市が出してるデータでもそのような結果が出ているらしいので、全国的に見ても多いということなのでしょう。
そんなデータからか、いろんな人や施設などが子供たちへ向けてメッセージを発信しています。
「行きたくなければ行かなくてもいいんだよ」
「行く場所がなければこちらへおいで」
などというメッセージ、目にされたことはないでしょうか。
私自身もいいメッセージだと思います。だけど一言付け加えたい。
そこで私が、親として伝えたいメッセージはこちらです。
「行きたくなければ行かなくてもいいけど、なんでか聞かせてな」
と。
親として知りたいのは行きたくない理由なのです。
阿吽の呼吸とか以心伝心とかいろんな言葉がありますが、親子であってもなかなか気づくことは大変です。
24時間一緒にいれば可能かもしれませんが、それでも不可能だとも思います。変化には気づけても変化の理由まではなかなか気がつけないものなのです。
親だからこそ「学校に行くことが当たり前」という考えを捨てる
学校に行くか行かないかで言えば行くほうがいいと思いますし、当たり前だという感覚もあります。
だけどこれはあくまでも私の個人的意見。
もし「行きたくない」という子供がいたら、その当たり前だという感覚を捨てて話を聞く必要があると思っています。
そしてその時に捨てなければいけないのが「精神論」。根性とかやる気とか。
そもそも学校に通うくらいで「精神論」なんて必要としません。そもそも根性ややる気なんて目に見えるものではないのだから、目に見えないもので評価するなんてバカげたこと。どう努力すればいいのかわかりません。
そして話を聞いたとして、簡単に理由を答えてくれるなんて思いません。
いじめなどであれば親であってもなかなか話すことができないでしょう。親の期待に応えようとしていればいるほど、期待に背くような気がして…。
だからこそ「学校に行くことが当たり前」という感覚と「精神論」を捨てて、フラットな気持ちで聞くことが大切だと思います。
学校の先生や親だけに頼るな
そして子供たちに言っておきたいのが「学校の先生や親だけに頼るな」ということです。
学校の先生=学校に来るのが当たり前と思っている。来ないと立場的に困る。
親=学校に行くのが当たり前と思っている。
こんな人ばかりではありませんが、こう思っている人だと「行きたくない」と訴えても「行け行け!」と言われかねません。
もしそんな目にあったら他の人を頼るようにしましょう。
祖父母でもいいし、親戚でもいいし、警察でもいいし。
文部科学省のホームページでは「子供のSOS相談窓口」も開設しているので、これらを利用するのもいいと思います。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06112210.htm
もちろん我がAdjustmentを利用していただくのも一つの手です。
子供にとって一番大切なのは学校に通うことではありません。生きること(できれば健康的に)です。
(これは大人にも同じことが言えます)
なのでまずは生きることを優先的に考えること。
そして生きることが辛いのであれば、その辛さを軽くする対策を練ること。
「学校に行きたくない」というだけではその辛さは軽くなりません。
確実に軽くしようと思うなら、その辛さを訴えたり理由を訴えてください。
大人たちは冷たい人間ばかりではありませんから、あなたの訴えを受け止めてくれる人に出会うまで訴え続けてください。
だから死ぬな!死ぬ気で訴え続けてくれ!
涼しくなってきた夏休み最後の日に、若干暑苦しめのメッセージを送っておきます。