僕は「夢を持て!」なんて言いませんよ
僕は「夢を持て!」という論調が好きではありません。
はっきり言って夢を持っていようが持ってなかろうが大きなお世話だと思うのです。
現に夢を持っていなくても充実した日々を送ることは可能です。
逆に夢を持っていても夢破れた時にはものすごく絶望感に襲われる時があるかもしれません。
そもそもが「夢を持て!」って言い方が嫌いです。
この言い方だと夢を見つけろ!と言われているようにも思うのですが、夢は見つけるもんじゃねえだろと僕は思うのです。
夢なんてものは無意識に見つけちゃっているものなのではないかと思うのです。。
例えば子供が「カッコイイ!」と思った人物や職業に憧れたりするのは自然な流れです。
それこそが夢なんじゃないのかなと思うんです。
また将来の夢となると職業で答えることが一般的になっているのもどうかと思います。
職業で答えるがゆえに夢破れるなんてこともありますし、そもそもが職業なんてものは夢を実現させるための手段でしかないような気もするのです。
例えば「ずっと野球をしたい。」と思っている子供が、夢として「プロ野球選手」と答えるとプロ野球選手になれなかった時点で夢破れてしまいます。
「美味しいケーキを作りたい。」と思っている子供が「パティシエ」と答えた場合、パティシエになれなかったら夢破れたことになります。
でも、たとえ趣味でも野球やお菓子作りを続けることができるのであれば、それは夢が叶っていると言ってもいいのではないかと思うのです。
また夢を聞かれて職業で答えた場合はその背景が気になります。特に子供の場合は。
「政治家」って言ってるけど、政治家になって何を実現したいんだ?
「医者」って言ってるけど、どんな思いでそう答えているんだ?
「公務員」って言ってるけど、そもそも公務員の仕事内容ってわかって言ってるのか?
そんなうがった見方をしてしまいます。
僕が子供に「夢を持て!」の代わりとして言いたいのは「したい・なりたいと思うことをまずは口に出してみよう。」ということです。
したいことやなりたいものをストレートに口に出してみればいいんじゃないのかと思うのです。
ですが「うまく言えなくてもいいから言ってごらん。」と言ってもなかなか子供からは答えが返ってこないこともあります。
それでもいいのです。
そのうち答えられるようになるでしょう。その時に子供と一緒にどうすれば叶うか考えられればいいのですから。
これは大人が相手でも一緒です。
ただ大人の場合は事情が違って、可能性を考えて答えがちなので答えが出ない場合があります。
ですので、
・金銭的
・能力的
・時間的
な制約を設けない状態だったらどう?
という感じで聞いてみるようにしています。
それなら…、という感じで答えてくれることもあるでしょう。その中に可能性のあるものが含まれている場合もあるかもしれません。
そもそも制約がある状態では、夢見ることなんてできるはずがないですもの。
周りから見れば下手すりゃ妄想のように思われるかもしれませんが、そんな話し合いが僕は好きです。
でも結局のところ夢なんて絵空事で、したい・なりたいという気持ちから生まれるものなのだから、それでいいのだと思うのです。
だからとりあえずはしたいこと・なりたいものを口に出すことから始めてほしいなあと思うわけです。
まずは口に出してみないと実現させるための思考すら起こせない。
簡潔にまとめられなくてもいいんです。僕は粘り強く聞くことはできるから。