普段通りに接してくれることのありがたさ

先日高校時代の友人と会う機会がありました。
同窓会という大々的なものではなかったのですが、友人が出張で滋賀県に帰ってきたというので急遽仲間内で集まることになったのです。
(友人は現在九州で勤務しています)
その友人に会うのは20数年ぶり。もう少しで四半世紀というタイミングでの再会でした。

思い出話は阪神大震災の後のこと

私の高校は工業系学科と商業系学科と語学系学科が存在していた学校でした。
(現在は総合学科になってます)
私が在籍していたのはサービス経営科という商業系の学科。ご想像の通り女子ばかりの学科です。
何せ2クラスで男子が7人。2年生から希望する進路に合わせてクラスが分かれてしまい、私のクラスは男子3人。
大多数を占める女子の中で肩身の狭い思いをしていたので、男子の結びつきは強いのです(笑)。

下校するのも一緒。
最寄駅近くのファーストフードに行くのも一緒。
学校にいる間はトイレに行くのも一緒。
休日に遊びに行くのもなぜか一緒のことが多かったです。

そんな同級生男子が急遽の誘いにもかかわらず4人集まり(今でも繋がりがある女子も1人いました)、思い出の多い草津駅近辺で会うことになりました。

久しぶりに会った友人は高校卒業後に就職した会社で順調にキャリアを積んでいますが、他のメンバーは私を含めて個人事業主。
言ってみればサラリーマン社会からドロップアウトをしているので、尊敬の目でその友人を見るも、言ってもただの同級生。仕事の話もソコソコにとりとめもない話題に終始します。
お酒も入っていたので、正直どんな話をしていたのか覚えていないくらいです。

ですがそんな中で二十歳過ぎくらいの話になりました。
私はその友人と最後に会ったのが二十歳過ぎ。大学2年生の頃なので、当たり前と言えば当たり前の流れです。

その最後に会ったのはとあるスナックでした。
私は大学生活を神戸で過ごしていたわけですが、2年生の1月に阪神大震災が起こりました。
もちろん私も神戸に住んでいたので被災したわけです。

幸いにも私は怪我をすることもなく、建物が倒壊することもなく、火事に会うこともなく過ごせていたのですが、ライフラインは寸断されていました。
もちろん大学は休校。後期試験もレポートの提出のみとなり(不謹慎だけど不幸中の幸いだった)、滋賀へと帰郷したのです。
そのタイミングで「久しぶりに会おうや」という感じで誘ってくれたのが高校時代の友人たちでした。

相手は気にしてないだろうけど私にとっては忘られぬ良き思い出

そして会うと「大変だったな」というようなことも言ってもらったんだろうけど、そんな湿っぽいような慰めのような雰囲気はすぐ終わり、久しぶりの再会をただただ楽しむ流れになりました。
言ってみれば、ただの飲み会です。

だけど、私はそれがうれしかった。

震災からしばらく経って、私は神戸から姫路を周り、播但線で北上して和田山から山陰線の特急で京都へ。
そして京都から滋賀へと帰ってきたのですが、京都駅で列車を乗り換えた時に目の前にあったのはありふれたあまりにも普通の日常。
ホッとすると同時に申し訳ない気持ちがありました。
なので慰められてもなんとなく申し訳ないというか、そこまで心配してくれなくてもいいというか、変な気持ちになったものでした。

だからこそ、友人たちの対応がうれしかった。
普段通りに接してくれたことが本当にうれしかった。
その時だけは震災のことを忘れ、被災者の仮面を脱ぐことができた。
本当にうれしかった。

あまりにもうれしくてヘネシーをラッパ飲みしてゲロゲロになってしまったのは申し訳なかったけど(笑)。
そしてさらに言うと、家まで送ってくれた時にウチの母に「こんなに飲ませて!」と怒られてしまったことは本当に申し訳なかったけど。ほんとゴメン。

その前後で岡山で勤務していた別の友人も実家に電話をくれて、軽い口調で「大丈夫やったか〜?」と聞いてくれたのもうれしかった。
そのメンバーが集まっていたので、その時のことを思い出しました。
正直忘れつつあったんだけど、すぐに思い出せました。

心配してくれてありがとう。
気遣ってくれてありがとう。
普段通りに接してくれてありがとう。
これからもこれからもいろんなことがあると思うけど、変わらずに接してくれな。よろしくな。

本当にいい友達に恵まれました。
入学した時は女子ばかりの世界に嫌気がさしてたけど、転校せずに卒業してよかった。
(マジで考えてた)

いや「卒業できてよかった」の間違いかもしれませんが。
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