うまくいかないと思った時に浮かぶのが『あきらめ』ですよね。
あきらめてあっさりとやめてしまうことで、うまくいかないという状況を打破しようというものです。
(『あきらめ』って打破するという前向きなイメージはないけれど)

今回はその『あきらめ』について考えてみたいと思います。

『あきらめ』はネガティブってわけじゃない

ちなみに『あきらめ』という言葉を国語辞典で調べてみたいと思います。

あきら・める【諦める】
しようと思ったが、できそうにないので、やめる。望みを思い切る。断念する。(名)諦め。「−がはやい」(可能)諦められる。
(三省堂国語辞典第七版)

という意味で紹介されています。
まあ一般的に知られている意味合いですね。私もこのように理解しています。
やめる・望みを思い切る・断念する
すごいネガティブですな。こう並ぶと。

そこで同義語を調べてみたいと思います。それは『あきらめ』の同義語の一つである『諦観』です。

ていかん【諦観】
①物事の本質を見極めること。②あきらめ(てながめる)ること。
(三省堂国語辞典第七版)

どうでしょうか。
なんとなくネガティブ感が消えて、むしろ高尚なことのように感じませんか?
物事の本質を見極めることなんて言われると、まるで『違いのわかる男』のように思えてなりません。ダバダ〜。

すぐにあきらめろと言ってるわけじゃないよ

そう考えるとあきらめも悪いものじゃありません。
どうしようもない時というのはあきらめてもいいんじゃないかと思うわけですよ。

ただしここで私が提言したいのは、何でもかんでもあきらめろということではありません。
あきらめもいいけど、自分の力でなんとかできるようであればあきらめる必要はないということなのです。

・自己研鑽でなんとかできるようであれば、あきらめる必要はない。
学ぶことや練習することなどでなんとかできそうなのであれば、あきらめる必要はありません。
特にスポーツ漫画の世界では、最後まであきらめないヒーローが数多く存在します。ひょっとしたらなんとかなるかもしれないという期待を抱かせますが、その期待は現実世界でも共通のものだと思っておくくらいでちょうどいいです。
最近はBSでキャプテンのデジタルリマスター版が始まったので、余計にそう思います。

・周りの人に働きかけることでなんとかできるようであれば、あきらめる必要はない。
何でもかんでも一人でやろうとすると限界がきます。人間一人では生きていけないことを改めて感じるべきです。
そう考えると周りの人間の助けを借りることでなんとかなることもあります。
人間関係が悪化したとして、助けを求めれば救われることもありますから。
状況がガラッと変わるという直接的なこともあるでしょうし、自分の内面が変わって受け取り方が変化することもあります。
(私がやっているカウンセリングとかコーチングなどはまさにそうです)
なので、周りに働きかけることが有効だということを心に留めておきましょう。

だけど自分の力でなんとかできるものじゃないことはあきらめろ

逆に言うと、自分の力でなんとかできないことはとっととあきらめるべきです。
執着していることでストレスが溜まってしまいます。

私があきらめているのはマリーンズ。
オープン戦絶好調だったのが夢だったのかと思うくらいの絶不調。ピッチャーが頑張れば点が取れないし、野手が点を取ったら抑えられない。悪循環とはまさにこのこと。
今夜の完封負けが今シーズン初めてと聞いて驚いたくらいです。

心配する周りの人からは「大丈夫?」とか「そのうち調子よくなるよ」とか「秋の帳尻を待とうよ」とか言われております。
だけど私自身はそれほど気にしていません。

だって私の戦前の予想はBクラス。5位だったのだからなんの問題もありません。
優勝なんか当分先でしょ。ろくな補強もしてないし当たり前だと思っています。

逆にね、これくらいで思っておいた方が喜びがでかかったりもします。
(昔の虎ファンもこんな感じだったと思うんですが、そうじゃなく一喜一憂するファンが増えてきましたね)
これぞ『諦観』。物事の本質を見極めていればこんな感じでいられるのですよ。

だけどやっぱりストレスを感じます。
ええ加減スカッと勝ってくれや。明日は頼むぜ。

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