人間は常識からはずれることを恐れてしまう

先日開催した『敷居の低い読書会』の中で話題になったことの一つに、「人間は他人の目を気にしてしまうという習性がある」というのがありました。言いかえれば「ついつい他人と比較してしまう」と言ったところでしょうか。困った人間の習性の一つです。
他人によく思われたくて見栄を張ってしまうなんてのはその典型ですね。大きく見せようとしてしまうことって多かれ少なかれあるものだと思います。

そして世間の人と違うことをするのを恐れてしまうという習性もあります。
世間の人と違うこと=常識とは違うこと
なんて方程式が成り立つのと同時に、そのようなことになると背中が丸くなって小さくなってしまう。
そんなことはないでしょうか。

無頼派作家の言葉に救われる

そんな時に私が思い出したのは『それがどうした』という言葉です。
これは若き日に読んだ伊集院静さんのエッセイ集のタイトルなのですが、

今は絶版になってんのかな。

女優の篠ひろ子さんと再婚する時に貯金額を聞かれてスッカラカンだと答えたら、「そんなバカな」「大きな賞だってとってるじゃありませんか」と驚かれ、その時に発した言葉だと記憶しています。
いくら儲けていても競輪をはじめとするギャンブルと酒に突っ込んでいるので、貯金なんてあるわけがない。あるのは借金のみ。
そんな無頼派作家でもある伊集院静さん。実際にスッカラカンなのはこのエッセイを読むと火を見るより明らかです。

直木賞などの賞をとっている作家が貯金ゼロとは信じられないのは事実です。
これが世間の常識。

ですが、それは本人以外の周りの人が作り上げた常識だとも言えます。
本人にとっては誰に迷惑をかけているわけでもないし(金を返せなければ迷惑をかけるけど)、そんな色メガネで見られてもと言った感じではないでしょうか。

それをたった一言『それがどうした』で表現したことに、私は少し感動したのを覚えています。

実際につぶやいてみると何かが変わります

この『それがどうした』って言葉はいろんなことに有効なのではないかと、私は気づきました。
オールマイティーではないのですが、思わぬ効果がある言葉なのではないかと。
今ではあまり「勝ち組負け組」なんて言葉が使われることはありませんが、格差が広がっているのは事実。
そんな時代だからこそ、この言葉をオススメします。

私が経験したことで言うと、長い間無職でいた時期がありました。
いくら頑張って転職活動をしていてもなかなか成果が出ない。
そんな時に読者プレゼントなどに応募しようとすると職業欄があったりして、そのたびに嫌な思いをしたものです。

だけどそんな時に『それがどうした』とつぶやけたならどうだっただろう。
きっと楽になれたんじゃないかと思うんですよね。

もちろん無職でいたからって他人に迷惑をかけているわけじゃありません(家族には迷惑かけるけど)。
ならば堂々としていてもいいんじゃないかと思うわけです。
労働することが当たり前だという世間の常識からははずれていますけど、それはこちらの勝手なのですから。まして転職活動を熱心にやっているのであれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか。

その他にもいろんな悩みがあり、いろんな劣等感を抱いている人もいるでしょう。

テストの成績が悪かった=それがどうした。次、頑張ればいいことだ。
片親だ=それがどうした。それでも生きてる。
お金がない=それがどうした。同情するなら金をくれ!
バツイチだ=それがどうした。独身だから気楽だわ。
子供が不登校で…=それがどうした。それでも元気に育ってるし、そのうち学校行き出すわ。

てな感じで、心の中でつぶやくだけでも自分の心が楽になると思います。
そして常識に縛られていることにも気づきます。

もしその常識のせいで自分が苦しんでいるのならば、そんな常識を捨ててしまえばいいじゃないですか。
NLP™️ではビリーフを書き換えるなんて言い方もしますけど、そのために有効なのが『それがどうした』。この言葉なのです。